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所在地 :埼玉県川越市幸町ほか、 |
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川越のまちなみは、重厚な蔵造りの町なみである。ふつう蔵は、住居に付属してあるが、この町は、蔵が通りに連続してあり、蔵の中で店を開いている。これを店蔵と呼び、その横に袖蔵と称する保管用の蔵がある。店蔵は、みちと平行の平入りで、袖蔵は、みちに垂直に(妻入り)でリズミカルな町まみとなっている。蔵造りは、防火目的で幕府が奨励した土蔵造りで、壁の厚さは12cm〜24cmある。現在の町なみは、明治26年の大火の後に建てられたものが多い。 |
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中でも大沢家は、1792年の建築で、呉服商、近江家半右衛門の店蔵で、幾毎の大火に耐え、国の重要文化財となっている。蔵造りの資料館は、煙草御商、4代目小山文蔵の居宅で間口14.8m、奥行き44.3mも敷地に、店蔵、袖蔵、一番蔵、煙草蔵、文庫蔵の5棟の蔵が配置されている。川越の蔵の圧巻は重厚な観音扉、二重蛇腹、それに高さ1mもの煉瓦(箱棟)などである。寛永年間に城主、酒井忠勝が建てたとされる時の鐘は、高さ16mで今も地域の人々に朝夕4回鐘を鳴らし、時を告げると共に川越のランドマークともなっている。 |
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所在地 大阪府富田林市富田林町 |
交 通 大阪難波より近鉄長野線富田林下車南へ200m |
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・富田林は都会に近く生き続ける江戸末期のまちである。永禄3年(1560年)西本願寺宗興正寺14世、証秀上人は、礼銭百貫文をもって、南河内地方の荒地を申し請けて興正寺を建立し、周囲に畑、屋敷、町割等をして名称を富田林とした。証秀上人が申し請けた場所は、南と東に10メートル程の高低差のある崖となり、西側も3メートル程の落差がある羽曳野の台地が石川の流れによって造りだされた舌状の自然の要塞となった場所である。証秀上人は、ここに興正寺を中心とした信者による“理想郷”を築こうとしたのであろう。広さは、東西、南北共に |
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所在地 兵庫県宝塚市小浜町 |
交通 JR宝塚線宝塚下車2km 車 中国自動車道宝塚I・C 1km |
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小浜寺内町の核となるのが“毫摂寺”(通称小浜御坊)である。寺の建立年代は不明であるが、応仁・文明の乱で焼けた京都本願寺の高僧・善秀が明応年間に(1492〜1500)小浜庄を開いた事が「摂津群談」に記されている。★小浜寺内町の空間構造(町割り)は、文政十年(1827)の古地図と現状とで大差ない。大堀川で囲まれた全体の五分の二程度を農園として取り込み、これは、自立都市として食糧の自給を計ったものであろうと推測する。政治の中心毫摂寺を正面に幹線中心軸を設け、山中家等、町の年寄を配置した。この中心軸から西に一本、 |
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所在地 :大分県臼杵市唐人町ほか |
交 通 : JR 日豊線臼杵駅徒歩20分 車 : 大分自動車道臼杵I.C 10分 |
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臼杵の町は大きく四つのゾーンに分けられる。それは、城下と在中(村)を結ぶ街道の出入口に町屋と寺院が混在するかたちで形成された平清水地区、町屋と土蔵が軒を連ねる町八地区、起伏に富んだ地形を巧みに利用して造られた武家屋敷や寺院が並ぶ二王座地区、そして小さく開けた武家屋敷が軒を接する様に建てられている海添地区の四地区である。 |
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・臼杵は、国宝臼杵磨崖仏でも有名である。古園石仏大日如来像に代表される磨崖仏は、平安時代から鎌倉時代にかけて彫像されたと言われる。石像群は、四群に分かれ地名によってホキ石仏第一群、同第二群、三王山石仏、古園石仏と名付けられ、その中から59体が国宝に指定されている。それぞれが傑作、秀作ぞろいであり特に中尊の大日如来像は日本石仏中の最高傑作に一つだとされる。じっと見ていると、キリリとした眉、伏し目に端正な顔、ほのかに紅を引いた唇、見る人にやすらぎを与えてくれる仏さまである。 |
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所在地 鹿児島県川辺郡知覧町 |
交 通 JR・西鹿児島駅よりバスセンターへ、知覧行きのバスで約2時間 |
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車・九州自動車道より指宿スカイラインに入り、知覧インターより約5km |
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・鹿児島市から南へおよそ35km薩摩半島南部地域の中央部に知覧町はある。 江戸時代、薩摩藩は武士を郷村に集住させ、平静は農業に従事させながら武道を訓練し、一朝、事ある時は、戦場に向かわせる郷士制度を推進した。郷士の居住する地区を麓と称し、知覧もその一つである。藩内に113設置された麓は、街道で繋がれていた。知覧麓も、まちの骨格
として中央に街道が通され、その両側に武家屋敷が並んでいる。街道は真っ直ぐに通さず、中央近くで意図的に曲げ、突き当たりに石敢當(集落の入口にある魔よけ)を置き、枡型を形成し亀甲城へ向 |
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所在地: 岡山県倉敷市中央1丁目他 |
交 通 :JR倉敷駅より徒歩10分。 車:山陽自動車道倉敷インターより10分。 |
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建物の特徴としては町家は、塗り屋造りで、倉敷格子とも称される親付切子格子がある。これは、主に主屋一階の正面の柱間に敷居から内法の間にはめ込まれる大きな格子である。上下を通る親格子は見付け100・で親格子と親格子の間に、上端が切り詰めてある見付け33・程の細かくて短い子格子が2〜3本入れてある。一般的には、親子切子と称するが、京都では、糸屋、紺屋などに多く用いられるので糸屋格子とも呼ばれる。倉敷ではこの中に符錠戸を入れることが多い。さらにこの格子は内に向かって開かれるか、内側に跳ね上げられるようになっており祭礼の時には、当家自慢の屏風が外に向かって展示されたのであろう。代表的な大原家の住宅は、主屋は本瓦葦、妻側には、付庇をつけているので一見すると入母屋造りの屋根のように見えるが、実は切妻造りである。 |
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